☆作業所の意味に関してはこちらの記事をご覧ください。(サイト内リンクです、一般人の方にもわかりやすいように書いています事をご了承ください)
子供のころにADHDの診断
幼稚園や小学生の頃から通知表には落ち着きがないと書かれ、先生からも親からも注意されてきたのですが、小学3年生の時にADHDと診断されました。そのまま同じ小学校に通うことはできたのですが、隣の市にある障害児福祉施設に毎週土曜日、母親とともに通い訓練を行ってきました。思い返せばADHDの障害特性に起因すると考えられ納得できるのですが、よく同級生にいじめられました。どこか浮いた存在で、空気が読めないことでターゲットにされたようです。
小学校5年の時から、いじめが原因で不登校になり、障害児福祉施設へも通わなくなりました。部屋から出て家族と共に過ごすことはできたのですが、家からは出ることが難しく引きこもり状態で中学終わりまで過ごしました。
精神科薬服用
引きこもりを契機に、ADHDで通っていた精神科では抗うつ剤や安定剤の服薬が始まりました。デパス、メイラックス、ソラナックス、ジェイゾロフトを服用しています。不登校の間、学校の先生が何度か訪問してくれましたが、私は決して会いませんでした。しかし子供の頃からずっと私の担当であった障害児福祉施設の男性職員だけには会って話すことが出来ました。
その男性職員は、施設の職員という目線ではなく、私にとってはお兄さん的な存在だったのです。2週間に1度は家に来てくれて、ドラマの話をしたり一緒にゲームをやったりして過ごしました。私の悩みも真剣に聞いてくれました。同時に、私のように障害がありながらも通うことが出来る福祉作業所のことなども話してくれ、今後の人生のこともアドバイスしてくれました。思い返せば、いつまでも、この状態で良いわけがないと思っていた私の背中を押してくれていたのです。
作業所に行くことに
家族の応援もあり、16歳の時に、その職員が紹介してくれた福祉作業所を見学することになりました。福祉作業所では、私よりも状態の悪そうな方や知的障害の方が元気に仕事をしていて、見学者の私と母に明るく話しかけてきてくれました。ろれつが回らない方やよだれを垂らしている方などもおり、抵抗がなかったとは言えませんが、同時に嬉しい気持ちを感じたことも事実です。
「自分も通ってみようかな」と思い、家族とも話し合い、母親の送り迎えで作業所に通うことになりました。私の通う作業所は、折り紙の袋詰めやシール貼り、お菓子の箱を折る作業が主な仕事です。通い始めた頃は、毎日起きられず母に起こされ、母の車で送ってもらい、日中は眠気と戦い、母の迎えで帰宅し、疲れて夕方4時ころには寝てしまう日が続きました。
しかし通所に慣れてきた今は、自分で起き、日中はバリバリ仕事をしています。たまに休むこともありますが、休みが続くということはなくなり、引きこもり生活をしていたことさえ忘れて過ごしています。これからも家族に頼って生活していくことになると思いますが、引きこもり生活から作業所に導いてくれた障害児福祉施設の男性職員には、本当に感謝しています。
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